発達障害のある娘を連れて海外に移住して良かったこと①学年を下げられる

マレーシアに引っ越してきて早くも8カ月が経とうとしております。

今日から、発達障害のある娘を連れて海外に移住して良かった思っている6つのことについて、一つずつ書いていきたいと思います。

① 学年を下げられる

まず何と言ってもコレですね。

私は主にこれがしたくて移住してきたと言っても過言ではありません。

日本ではこれが出来ないんですよね。

教員をしていた時、いつも辛かったのです。

「あぁ、○○ちゃん、まだよく分かってないよね」って思うのですが、もう時間がない、先に進まなきゃいけない。

教師だって辛いけど、一番辛いのは○○ちゃんです。

ずっと分からない授業を受け続けなくてはいけないのですから。

 

アオイの場合、ディスレクシアがあるので、文字に興味を示すのがとても遅かったのです。

私も敢えて自然に任せていましたので、アオイは平仮名、カタカナ、漢字を、小学校で初めてきちんと学びました。

それまでも読み聞かせはしていましたし、「ひらがなワーク」のようなものをねだられて買ったこともありました。

しかし、家庭で私が教えるようなことは、敢えてしていませんでした。

興味のない子に教えて、学習のモチベーションを下げるようなことはしたくなかったのです。

また、小学校で教員をしてた経験から考えて、せっかく小学校できちんとした方法で教えてもらえるのに、わざわざ家庭でやる意味が分からない、と思っていました。

現在でもそうです。

自分が小学校でだけ読み書きを学び、特に何の問題もなかったので、そう思っているのでしょう。

むしろ教員としては、塾や家庭で先取り学習をし過ぎて学校での勉強に興味を失っている子や、学校を先取り学習の成果発表の場であるかのように捉えている子への対応に、若干苦慮していました。

アオイについては、小学校入学後、5月に入ってから、宿題の音読があまりにたどたどしいことに危機感を覚え、急いで検査などを受けさせました。

入学前にアクションを起こさなかったことを、特に後悔もしていません。

むしろ、ゆったり過ごせて良かった、くらいに思っています。

こういうのは本人の伸びる時期というものがあるので、まだその時期が来ていないのに周りで焦っても、お互いにストレスになるだけだったろうと思います。

で、検査以降は、その対応に注力しました。

担任の先生もよく理解してくださったし、児童精神科の先生や、言語聴覚士の先生にもご指導を受け、本人の伸びる時期とも重なり、学校ではそんなに困ることもなく、楽しく過ごしてくることができました。

アルファベットやフォニックスに取り組む余裕は全くありませんでした。

 

一年生が終わり、マレーシアのインターナショナルスクールへの転校を決めました。

校長先生との面談の際、私は次のことを伝えました。

●アオイはASDやディスレクシアの診断を受けている

●アオイは英語を聞いたり話したりすることはできるけれども、英語の読み書きは、これまで全く学習してきていない

校長先生は、「ではとりあえずYear1から始めましょう」と仰いました。

そして、4月下旬から学習が始まり、7月の保護者面談で、「彼女はよく理解できています。9月にはYesr2になれますよ」と嬉しいお話をいただいたのでした。

 

アオイ曰く、Year2には現在、5歳、6歳、7歳、8歳の子供が在籍しているようです。(アオイは8歳)

ある時、アオイが「Bright(クラスメイトの名前)って5歳なんだって」と私に言って、その表情が、ちょっとショックを受けているように見えたことがありました。

私は「いいじゃん、あおたんは7歳の時、日本でひらがな、カタカナ、漢字を勉強してきたんだから。人それぞれちょうどいいタイミングがあるんだよ」のようなことを言いました。

私はこれを、アオイを励ますためだけに言ったのではありません。

本当に、心からそう思っているのです。

 

学習内容を子供に合わせる。

それって教育の基本ではないかと思います。

日本の教育もそうなると良いなと思います。

留年や飛び級について、日本では賛否両論あるようですが、私は完全に賛成派です。

いつか時間があったら、このことについてもう少しじっくり書いてみたいと思います。

 

今朝はここまで。ありがとうございました。